Yamiboi To$インタビュー|『YAMI TREASON 2』で描く日常と爆発する表現欲

アーティスト特集

「悩みを武器に変える」——Yamiboi To$が語る名前の由来と故郷・福井への想い

「最初は“TO$”だけでやってたんすよ。
でも全然いろんな検索に引っかからなくて(笑)
それがきっかけで名前を変えようと思ったんです。」

そう話すのは、福井出身・石川在住のラッパー、Yamiboi To$。
本名から取った“Tos”に、Playboi Cartiへ傾倒していた時期の影響で「○○boy」という響きを掛け合わせた。
そして選んだ“Yami”の由来は、なんと「悩み(NAYAMI)」から来ているのだった。

「人からしたらどうでもいいことでも、自分にはめっちゃ引っかかることってあるじゃないですか。
俺はそういう性格で、悩みも多い。
でもヒップホップなら、それをかっこよくできると思ったんすよ。」

Yamiboi To$

悩みを武器に変え、名前の中にも刻み込む。
それが、Yamiboi To$の始まりだった。

地元・福井を出て石川に来たのは大学進学のタイミング。
若い頃は「保守的な地元」が嫌いで、都会に憧れていた。
だが離れて暮らすうちに、家族の存在とともに福井の良さを再発見する。
「俺、一人っ子なんですよ。
無償で愛をくれるのって家族しかいないし、
離れてみたら“福井っていい場所やな”って思えるようになった。」

そんな思いは、楽曲「DYSTOPIA FR33STYL3」にも刻まれている。
《枯れた町 始まり 煙突から灰色の音が鳴り》——その舞台は、まさに彼の故郷だ。
新しいものがすぐには受け入れられない土地柄も、今では自分を形作るルーツだと感じている。

Yamiboi To$と雪国

雪が描く「道」と、壊れた愛車

「雪国で生まれ育ったからこそ、雪は避けられない存在なんすよ。」
そう前置きして話してくれたのが、楽曲「WADACHI」と「I hate snow」の裏側だ。

「WADACHI」は、雪道に最初に走った車が作る“轍(わだち)”から着想を得た。
そこを通れば安全に進めるけれど、彼はあえて外れた道を選ぶ。
「俺には“轍”はいらない。自分が新しい轍を作る側でいたいんすよ。」
雪という身近なモチーフに、自分の人生観を重ねた曲だ。

一方で「I hate snow」は、もっと生々しい。
ある冬、金銭的にも苦しい時期に雪道で事故を起こし、修理費に20万円を失った。
「マジで雪が嫌いになった。でもそのまま終わったら、もっと雪にムカつくなと思って。
せっかくラッパーなんだから、曲にして消化しようって。」
事故で壊れた愛車フォルクスワーゲン・ポロは、その後アルバムのボーナストラック「POLO Freestyle」で“帰還”を報告するまで、一つの物語として彼の音楽に刻まれた。

壊れたYamiboi To$の愛車
現在は無事に復活している

一人で戦い、仲間と遊ぶ

制作やライブに立つときは、基本的に一人を好む。
「孤独が好きなんすよ。戦うときは一人で、上がるときはみんなで、って感じ。」
そんな彼の周りには、自然と信頼できる仲間が集まっている。

近所に住むラッパー・YÖSYRUPRECXNTA、そしてプロデューサーのD-Ryooga
地元はバラバラだが、偶然同じエリアに引っ越してきたことで繋がった。
さらに、ニュージャンル系ビートを手がけるプロデューサー・NoDoubleMane生も加わり、
彼らはよく「108 (テンパ) STUDIO」に集まってセッションを重ねる。
「クルーじゃないけど、気づいたら一緒に音楽やってる。そういう距離感がちょうどいいんすよ。」

Yamiboi To$と仲間たち。左がRUPRECXNTA 右がYÖSY。
Yamiboi To$と108

MUNEHARUWA —— どん底から放つ、自分への宣言

Yamiboi To$の代表曲「MUNEHARUWA」は、彼が人生の底をさまよっていた時期に生まれた。
音楽一本で生きると決め、自身のもろもろを手放したものの、成果が出ず、金銭的にも精神的にも追い詰められていた。その中で見つめ直したのは「譲れないもの」――自分の声や考え方といった、目には見えないが確かに存在する核だった。

Yamiboi To$とWataru

当初は沈んだ感情のまま曲を書き始めたが、福井のプロデューサー・Wataruの言葉がきっかけで方向転換。
「暗いまま終わらせるのではなく、自分が戦う姿を通してリスナーを勇気づけたい」と考えるようになった。
「胸張れよ」ではなく「俺は胸張るわ」という能動的な姿勢。そのフックとフローは耳に残り、
<背骨折れるぐらい胸張るわ>というパンチラインは聴く者の心を撃ち抜く。

この曲は、彼が自分自身とリスナー双方を奮い立たせるために選んだ、生き方そのものの表明だ。

幼少期の音楽体験から「もう一回」の精神へ

父の車で流れていたBOØWYやTHE BLUE HEARTS、尾崎豊——空手の送り迎えの車内で自然と耳に入ってきた音楽は、ジャンルを超えてYamiboi To$の感性を育んだ。
「俺のリリックって絶対マイナスで終わらないっすね。悩みや弱音も吐きすぎず、最後はポジティブに持ってくんすよ。」
どんな経験もプラスに変えて終わらせたいという姿勢は、この頃から芽生えていた。

そのマインドは、Daft Punk「One More Time」を元ネタにウクライナのビートメイカーと共作した「ONE MORECHANCE」にも色濃く表れる。
一度ブロックされた状況から「もう一回チャレンジする」思いを込め、ドリカムの「1万回ダメでも1万1回目がある」という歌詞や、地中のダイヤを掘り続ける風刺画をインスピレーション源とした。

元ネタとなった風刺画

また、ミックステープ『Yami Gacha』収録の「Geeeks」のMVでは、日本ドラマ『SPEC』の主人公が半紙にキーワードを書き破って思考するシーンからも着想を得てMVを制作。
「日本人だからこそ使えるモチーフは、これからもバンバン使っていきたいっすね」という言葉通り、海外の影響と日本の文化をクロスさせるスタイルが、彼の表現の核となっている。

MV『Geeeks』の元となったシーン

生活感と現実を刻んだ『YAMI TREASON 2』

YAMI TREASON 2』は、前作に続き、Yamiboi To$のリアルな日常と心情をそのまま封じ込めた作品だ。
中でも「賃貸重低音」は、賃貸のスタジオという楽曲制作のしにくさを抱えながらも、その中から爆発するように湧き出たクリエイティビティを形にした1曲。
狭い空間や薄い壁といった制約を逆手に取り、生活の圧迫感を重低音のビートにぶつけた。

『賃貸重低音』の舞台である「108 STUDIO」の様子

シリーズを通して、彼は作り込むというよりも、その時期の感情や出来事を瞬間的に切り取っている。
だからこそ、どの曲にも作為のないリアルさと、その時の空気感が刻まれている。
『YAMI TREASON 2』もまた、等身大のTo$を映す記録だ。

焦燥と反撃——『YAMI TREASON』が刻んだ1年

『YAMI TREASON』というタイトルには、今後自分の時代が来るという意気込みを込めた“Yamiboiの季節”という意味と、現状への不満を抱えながら予想外の下剋上を仕掛ける“反撃”の意志が込められている。
「早く売れたい」という焦燥感は当時24歳だった彼の胸を強く占め、リリックには鋭さと切迫感が宿った一方、余裕のなさもにじんでいたという。

Yamiboi To$

その後の1年で、多くの出来事と人との出会いが訪れる。こうして制作された続編『YAMI TREASON 2』は、同じ“反撃”のテーマを保ちつつも、より冷静で俯瞰的な視点が加わった作品になった。
怒りや焦りだけでなく、経験から得た落ち着きと確信が、トラックの奥に静かに息づいている。

次なる一歩と“頭に十字架ついたオオカミ”のこれから

Yamiboi To$は、今年さらに活動の幅を広げることを決意している。
今後小規模ツアーなども視野に入れたい。と語り、更なる飛躍を計画している。
次作は「レベチ」を手掛けたビートメーカー・D-Ryoogaによる全曲プロデュースのアルバム。
初のリリースパーティーなども行いたいと息巻いており、全国でファンと直接繋がる機会を作る構想だ。

「十字架」

そんな彼をひと言で表すなら——
「十字架を掲げたオオカミ」。
自ら”いい感じに中二病”と笑いながらも、その言葉には彼の音楽と生き方を象徴する鋭さと孤高さが宿る。
これからも彼は牙を隠さず、仲間や家族、そして自身への忠誠を表す十字架を掲げたまま、自らの道を突き進んでいく。

Yamiboi To$(ヤミボーイトス、2000年-)は、
福井県福井市出身、石川県金沢市を拠点に活動するラッパー。
ジャンルにとらわれないスタイルで自己のありのままを表現することを信条とする。
今年2月にリリースされたTeteとの「MUNEHARUWA Remix」や、
同年6月にリリースされたSad Kid Yaz、Worldwide Skippaとの共作シングル「レベチ」では数多くの話題を呼んだ。
闘志溢れるリリックに垣間見える繊細さこそが彼の持ち味である。

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